ビジネス通訳|日英・日中・英中:つぶやき NEWS
2020年、コロナ禍の中で日本は 6月に自粛明けました。日英中逐次通訳は「交流を重んじる」通訳業なので、人の行き来が断たれた影響を直に受けました。色々迷い、悩んだ末、昨年起業した初心と目的を考え、積極的な通訳業のPR・広告を控え、短〜中長期の活動の順番を見直しました。
その結果、本来長期目標である「農業(珈琲栽培)」に関する情報収集と懸案事項の解消を前倒して、先に取りかかりました。
理由は
(1) 農作業は「密」にならない環境が多い、
(2) 情報収集や懸案解消ならばオンラインでも進められることが多い、
(3) 過去数年自分が置かれた環境や自粛からのメンタルや体の状態でも都会ではなく自然の中で黙々とした肉体労働が、偏りすぎたところや不足の部分を補ってバランスを戻してくれる、と思ったからです。
昨年沖縄の珈琲農園を視察しに行ったり、年末の異業種交流会の基調講演は偶然にも「新規就農」だったのがきっかけで「誰でも農地を借りられるわけではない」という、農地を規制する農法などの農業の壁を知りました。
農地を借りたり買ったりするまでの規模で珈琲栽培を試みるかどうかを別としても、栽培するにあたり土地が要ります。私は現在大阪市中心部住まいで資産家でもあるまいし、土地を購入できるわけありません。
また、都会じゃなきゃダメ!(都会大好きとか)の理由で、今のところに住んでいるわけでもないので、ライフバランスなど環境も考えると「地方」を考えるようになりました。
台湾台北のど真ん中に産まれた私は、ある意味「故郷(田舎)」を持たない人でもあります。そういう「ふるさと」に憧れ、それっぽい第二の故郷を見つけらればとも思いました。しかし、あくまでも「珈琲栽培(露地)」できる場所のはずなので、どこでもいいというわけにも行きません。
最初は 移住・交流推進機構「JOIN」が運営しているホームページで日本全国の「地域おこし協力隊」の求人を片っ端から読みました。しかし、読めば読むほど頭がグルグルと回り、ハテナと焦りばかりが増えました。何故ならば、ほとんど行った(日本人でも聞いた)ことない町で、移住前提の雇用(コミットメント)であり、それに応募しようとしている人たちはいったいどういう基準で応募先を決めているのか、理解しづらかったのです。
考えられるのは主に三つのパターン:
(1) 前から知っていて住んでみたい(あるいは行ってみたい)場所か、移住希望先である場所
(2) 募集案件の業務内容をやりたい
(3) 地方ならどこでもいい
まだ 20代前半ならば (3) でも構いませんが、40代半ばで人生のライフワークやキャリア構築にもっとも大事な局面に立っている人たち(例えば私)には無茶すぎる部分あります。一方 、(2) だけで任期の 3年すぎたら「やっぱり移住しない」と言える厚がましさは私持ち合わせていないし、たとえ一年でも住民票を移したり引越しはお金も心労もかかります。40代半ばからは、相当な理由がないとハイリスクな選択肢に飛びつかなくなるのです。
そうすれば (1) に近い要素が肝心ですが、コロナ禍で気軽に現地に行ってお試し滞在して自分の気持ちなどを事前に確認できない世の中でした(GoTo トラベルの前)。結局 7月末までは、まずグーグルマップ・YouTube 動画・オンライン説明会(現地ツアーも含め)・ウィキペディアなどで客観的なデータと情報をまずかき集めて「珈琲栽培できそうなのか」、「空き地・空き家」、「農地入手難易度」、「新規就農内容&行政支援制度」、「自分が長く気持ちよく暮らせそうなところか」などの項目で選別しました。
寒がりの私は西日本の太平洋側に絞り、さらにその中から山口県・愛媛県・宮崎県に絞りました。沖縄県はもちろん珈琲栽培しているのを知っているが、自分は本島だと南部しかしっくりこなかったので、沖縄県外も視野を入れてみることにして範囲を広げた次第でした。
結論からいいますと珈琲をはじめ植物栽培における「農地と農業」の壁を解消するために始めた模索は、2020年の夏(7月〜10月中旬)に私が日本の地方における移住、暮らし、働き方を知る旅となり、日本の農林業への研修や体験そしてフィールドワークと、地方にある企業との副業(複業)兼業への冒険となりました。
宮崎県には地域おこし協力隊 2件応募し、それぞれ異なる形だが現地で関係者である方々にお会いして回ってきました。愛媛県には行政の窓口を通してしまなみ海道の島々にある農家を視察し、移住体験施設に宿泊してきました。山口県は行政の窓口を通して農大学校の寮に泊まりながら、移住希望者向けの農業の入門研修を受けました。
さらに自分自身は、宮崎県の農業相談窓口のアドバイスを受け「土地目的ならば林業も考慮していいかも」の下でコロナでほとんど全部中止となっていた林業体験・研修を 9月に和歌山県高野山で受けてきました。他に、9月初めに農業インターンのホームページで岐阜県の募集に応募し、お茶・果樹・野菜のインターンを法人で三日間してきました。
岐阜の農業インターンは、いわゆる OJT なので農業とは何か?を知るには、最も勉強になり、良い体験となりました。高野山の林業一日体験も林業とは(機械なしの林業も含め)どういうことかを知れる良い機会となりました。農業は「健康でなければやれない」とよく言われるが、それに上乗せて「若く体力がなければ(機械なしは特に)できない」のは林業でした。
最近「自伐型林業」を推進されている地域もあるのだが、それはどういうことなのか、まだ今後時間をかけて知っていくつもりです。農林業は、地方の経済や環境の大半を占めているのだが、とても厳しい状況に置かれ深刻の問題を抱えているのを知りました。
農業は新しい参入者(新規就農)や事業承継が問題で、耕作放棄地などの深刻化が挙げられています。林業はそれよりさらに問題が大きく、取り組み始めるのも農業より遅いのです(国の行政レベルで施策始まったのは昨年〜今年です)。岐阜県に行った時にも目に入る山々は「ほとんど整備されていない」と言われました。整備されていない森林は、雨降れば水害を起こし、鹿や猪など農家にとって悩みのネタである動物も増えて、農地(圃場)荒らしにつなぎます。これはもう日本全国どこでも見られる現象です。
農林は兄弟のような距離で、山は海の恋人にも例えられています。これらはいい状態でつないで循環(サイクル)すれば、人が住む社会(里)も健全な状態になります。今までの経済や社会の仕組みは、人を農林・山海から分離した上で進展してきました。これからの時代は、人をその中に置いた上で未来図を描かなければなりません。
こうやって 10月中旬に入り、私の夏の冒険が一旦終わりました。ふるさとが見つかると思ったら見つかりませんでした。人生が一度に激変する何かに突入すると思って出かけてみたが、そうはなりませんでした。ずっと一人で暗闇の中で何十年も模索して走ったり歩んだり転んだりして、けれど人並みのものは揃えていない自分は欠陥人間ではないか?という感覚を持ちながら、居場所が欲しいと思いました。なので、結構一つ一つの遠出(旅)に凹んだり帰ってきて大変精神的に落ち込んだこともありました。
が、わかってきたこともたくさんありました。それによってクリアになったこともありました。今は大阪中心部の我が家に戻り、変わらず都会の中で新たな道の開拓に挑みつつ、地方の暮らしや関わり方も模索していきます。
この先は日本にいるのか、台湾に戻ることもあり得ます。現時点は日本の地方で珈琲栽培するならば、三線を学ぶ私でもあって、沖縄は現在のベストアンサーです。それに基づいて、今月から来年に渡る活動の進み方をまた描いてみます。
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