ビジネス通訳|日英中逐次通訳:珈琲栽培(沖縄)
この記事は、私が 2019年 11月にはじめて沖縄本島で行われた珈琲栽培に関する現地調査のまとめ(サマリー)のようなものです。自分と同じく珈琲栽培に興味あるがずっと畑違いの世界にいる方の参考や、私自身今後の活動計画用にメモとして脳内だけでは時間経てばアヤフヤでごちゃ混ぜになりそうなので、この場で公としての整理も一つ出そうと思い、書いてみました。
学術的報告や調査会社の報告書ではなく、あくまでも大雑把に全体のイメージを描く、書き留めるためのものなので、数字やデータ内容をアバウトな度合いにしておいてあります。さらに何かや誰かを上げたり下げたりするためのものでもないので、個人名・機関名もよっぽど評判がよく名高い場合でなければフルネームを出さないようにしております。
本当に沖縄の珈琲生産を知りたい方ならば、ここに掲載している情報をヒントにネット検索したら具体的かつ色々あるもの、ないものは出てくるはずです。それらに対してわかりやすく全体図を与えるのはこの記事の立ち位置と言えましょう。
民間の歴史
沖縄に珈琲の木が現れてきたのは、40年もしくはそれよりも前のことです。台湾と同じくもともと島にあるものではなく、外から持ち込まれて植えられた植物です。台湾と沖縄両側に聞くと台湾の方がもっと古くて 100年も前からあるらしいです。
何かの理由で持ち込まれた上、植えられたわけですが、実際に「商業・産業」の農作物として栽培を試みるのは、一番最初は 30年前くらいのではないかと(HIRO COFFEE FARM はその先駆でした)。その後も「沖縄珈琲栽培」みたいなブームが何回か現れ、消え、そしてここ5〜10年に(現在進行形)現れたのは「第三波」ではないかという説もあります。
何故消えたかというとそれはもともと沖縄はコーヒーの木が生産する場所ではないからです(外から持ち込まれたものです)。気候や環境など様々の要素で「商業・産業」としての栽培は挫折し、途中で中断されたわけです。
挫折の原因
挫折の原因、いわゆる沖縄珈琲栽培における難点を挙げる前に、注意しなければいけないことがあります。それはここ40〜50年間、我々を囲い込む大自然や環境が大いに変わったのと、情報・知識・技術の量と質は農業的にも、経済的にも以前より何倍もよくなっていることです。この変化によってだいぶ解決してきている課題もあります。決して昔と同じ壁にぶつかっていて進歩がない訳ではありません。
まず、珈琲の品種によって適している環境要件が若干変わったりしますが、基本共通しているのは:
1. 適温は 13度〜26度くらい(人間にとっても気持ちよく過ごしやすい気温)の辺りで、一日における温度差もそれくらい(10〜15度)がもっとも珈琲の木に喜ばれる温度環境です。
2. 元気な日差しが必要だが、長時間の直接日射は良くなく、適宜な日陰が必要です。
3. 水分たっぷり吸います(雨量の少ない場所にはちょっと工夫が必要です)
4. 風通しの良さを必要としますが、強風には弱い。
では、沖縄で栽培すればどうなるかと言いますと:
・1. の温度差に近づくために平地ではなくある程度の山で栽培します。
・2. を達するために 1. の山でさらに谷間を見つけます。
・3. に関しては沖縄の雨量では一応足りています(台湾の方がもっと豊富ですが)。
・4. は沖縄珈琲栽培の最大の難点とも言え、台風が多く、しかも直撃も少なくない沖縄では珈琲栽培はとても難しいのです。
これらをまとめてより詳しく解釈しますと「山の腰あたりくらいにちょうどいい感じの日陰を作っている環境である谷間を見つけ、そこで台風の季節に合わせて防風林を作る」という結論になります。
その影響か、実際半分以上の珈琲農園は沖縄本島の北部にあります。ただ、ここでまだまだいくつかの難点が残っています:
5. 北部は台風時期でなくても風が強い日は多くもっと言えば冬は山では通常の珈琲の木にとって寒すぎるくらいの最低気温になったりします(風強いですしね)。
6. 山にある谷間ということは、狭い空間なので「商業・産業」としての生産量に達しづらいのです。要するに農作物を大量に生産できるような規模の珈琲農家には成り立たない意味でもあります(いくつかの農園を持たなければ)。
7. 沖縄の台風問題はただ風速によるダメージではなくもっとも厄介なのは実は、台風に連れ込まれて吹かれている海水の塩分です。さらに北部の位置では台風がくる時と去る時に風の方向は正反対で要するに去る際には逆方向での塩分を含んだ強風の影響も受けてしまい、まさにダブルパンチです。
現地の生産者たちの話によれば、海水が珈琲の木の葉っぱにつけば、同日内に洗い流してあげないとかなり痛手を負ってしまうとのことです。もし台風がゆったりと動いてしまう場合、着陸してから離れていくまで一日以上かかった場合はかなり緊急事態になりますね。
強風の影響を最低限にする防風林の効果的な案は、農園によって結構できてきているみたいですが、台風に吹かれる海水の塩分を最小限に抑えるためのものは、農園の環境によってはかなりの難題になりそうです。それでも 21世紀を生きている人間だからこそ、克服できる工夫やアイディアがあるかもしれません。
メーカーや市場からの関心
40年前、1970年代頃には珈琲を飲む文化はまだ欧米のものであり、アジアでは決して日々の暮らしにある文化ではありませんでした。私は台湾生まれで 13歳まで台湾にいたのですが、うちにインスタントコーヒーが入ってきたのは確かに1980年代後半だったと記憶しています。
さらに言いますとオーストラリアに移住した 1989年にはまだ台湾には珈琲を飲める店はどこもありませんでした。「カフェ」や「喫茶」という単語は当時の台湾社会と経済には存在しなかったのです。
それと比べれば日本はだいぶ早いうちからコーヒーを導入しました。私もまだ詳しく知らないのだが、おそらく初期の導入背景の事情などからして新鮮で高品質な豆は日本には流出されず入手不可能だったのではないかと思います。
それに対して日本独自の工夫を生み出さなければなりませんでした。焦げているじゃない?というくらいまで深煎りしている豆を濃く抽出する上に砂糖をたっぷり入れてその濃さに対抗できる濃厚なクリーム(フレッシュなど)を加えて飲む、というスタイルがいつしか確立され、この方程式がベースで日本の「缶コーヒー」が生み出されたのではないかと思います(1980年代の UCC 缶コーヒーなど美味しかったですね)。台湾を含め、近隣のアジア諸外国も最初の「珈琲文化」と言えば、Nescafe のインスタントか、日本の缶コーヒーの二つが基本だったのではないかと思います。
日本にスタバーが入ったのは 1999年前後でした。ちょうど私が社会人になりたての頃に日本初のスタバーができたのでよく覚えています。それまでの日本の「喫茶」という珈琲文化そして珈琲世界が変わり始まるのはそこから徐々にだと思います。何故ならばスタバーは初めてヨーロッパのエスプレッソ珈琲文化をファストフードのような仕組みで個人消費者向けに即座に作り卸している形をグローバルのフランチャイズに成功した会社だからです。そこから初めて「喫茶」ではないエスプレッソに基づいた「カフェ」という単語が店舗の形態としてアジアに広がり、文化浸透につないでいったのです。
2010年までは日本やアジアのカフェブームの土台が育んでいた時期でした。珈琲を飲む人口が右上がりの中、赤道に近いインドネシアなどの国以外に新たなアジアの珈琲生産地から「新品種・新珈琲」などの「アジアからの稀少価値あるプレミアム珈琲(豆)」の可能性と必要性を感じている人が多く、企業からもちろんのこと、市場からの期待は高まっていました。また、地球温暖化が深刻化するのと同時に「珈琲栽培の北限」とされている地域の環境も変わりつつあります。
産学官民の動きと大手メーカーの参入
コーヒーメーカーや珈琲の市場関係者たちからの熱い目線が注目される中、アジアではもっとも珈琲の消費量と歴史の長い日本(ベトナムも長い)は自然と国内産地として沖縄が注目されました。もともと小笠原諸島も珈琲の木が植えられているようですが「産業」として現地でも関心が集まり動いてきたのは、沖縄でした。
沖縄はもともと国内の観光名所として知られているが、LCC 格安航空便が始まって以来間もなくアジア近隣国の大人気スポットになりました。県内の経済(収入源)の大半は観光関連の業界・産業、そして農作物や水産物です。観光業のためにも沖縄県を代表する「沖縄産」の新しい何かを打ち出し続けなければいけないので、その一環でも「沖縄産珈琲」というレテルに大いなる価値を感じた人は多くいました。
その渦巻きの中、現地では、産学官民という民間一般人、大学研究所(琉大)、地域行政の複数のプラットホームで珈琲を取り込もう!という動きは「第二波」か「第三波」の珈琲栽培ブームとして現れ活動が始まりました。それによって生産組合や協会も出てきたりして、さらに、ここ数年はネスレ日本のような大手メーカーによる大型珈琲農園の開拓プロジェクトをはじめ、2011年の東北震災以降に現れた田舎や地方への移住活動に 2017年に「沖縄で珈琲栽培」という名目で移住者募集したりすることもありました。
次回:「珈琲栽培|沖縄:民間〜市町村〜県(後半)」へ続く
では、沖縄で栽培すればどうなるかと言いますと:
・1. の温度差に近づくために平地ではなくある程度の山で栽培します。
・2. を達するために 1. の山でさらに谷間を見つけます。
・3. に関しては沖縄の雨量では一応足りています(台湾の方がもっと豊富ですが)。
・4. は沖縄珈琲栽培の最大の難点とも言え、台風が多く、しかも直撃も少なくない沖縄では珈琲栽培はとても難しいのです。
これらをまとめてより詳しく解釈しますと「山の腰あたりくらいにちょうどいい感じの日陰を作っている環境である谷間を見つけ、そこで台風の季節に合わせて防風林を作る」という結論になります。
その影響か、実際半分以上の珈琲農園は沖縄本島の北部にあります。ただ、ここでまだまだいくつかの難点が残っています:
5. 北部は台風時期でなくても風が強い日は多くもっと言えば冬は山では通常の珈琲の木にとって寒すぎるくらいの最低気温になったりします(風強いですしね)。
6. 山にある谷間ということは、狭い空間なので「商業・産業」としての生産量に達しづらいのです。要するに農作物を大量に生産できるような規模の珈琲農家には成り立たない意味でもあります(いくつかの農園を持たなければ)。
7. 沖縄の台風問題はただ風速によるダメージではなくもっとも厄介なのは実は、台風に連れ込まれて吹かれている海水の塩分です。さらに北部の位置では台風がくる時と去る時に風の方向は正反対で要するに去る際には逆方向での塩分を含んだ強風の影響も受けてしまい、まさにダブルパンチです。
現地の生産者たちの話によれば、海水が珈琲の木の葉っぱにつけば、同日内に洗い流してあげないとかなり痛手を負ってしまうとのことです。もし台風がゆったりと動いてしまう場合、着陸してから離れていくまで一日以上かかった場合はかなり緊急事態になりますね。
強風の影響を最低限にする防風林の効果的な案は、農園によって結構できてきているみたいですが、台風に吹かれる海水の塩分を最小限に抑えるためのものは、農園の環境によってはかなりの難題になりそうです。それでも 21世紀を生きている人間だからこそ、克服できる工夫やアイディアがあるかもしれません。
メーカーや市場からの関心
40年前、1970年代頃には珈琲を飲む文化はまだ欧米のものであり、アジアでは決して日々の暮らしにある文化ではありませんでした。私は台湾生まれで 13歳まで台湾にいたのですが、うちにインスタントコーヒーが入ってきたのは確かに1980年代後半だったと記憶しています。
さらに言いますとオーストラリアに移住した 1989年にはまだ台湾には珈琲を飲める店はどこもありませんでした。「カフェ」や「喫茶」という単語は当時の台湾社会と経済には存在しなかったのです。
それと比べれば日本はだいぶ早いうちからコーヒーを導入しました。私もまだ詳しく知らないのだが、おそらく初期の導入背景の事情などからして新鮮で高品質な豆は日本には流出されず入手不可能だったのではないかと思います。
それに対して日本独自の工夫を生み出さなければなりませんでした。焦げているじゃない?というくらいまで深煎りしている豆を濃く抽出する上に砂糖をたっぷり入れてその濃さに対抗できる濃厚なクリーム(フレッシュなど)を加えて飲む、というスタイルがいつしか確立され、この方程式がベースで日本の「缶コーヒー」が生み出されたのではないかと思います(1980年代の UCC 缶コーヒーなど美味しかったですね)。台湾を含め、近隣のアジア諸外国も最初の「珈琲文化」と言えば、Nescafe のインスタントか、日本の缶コーヒーの二つが基本だったのではないかと思います。
日本にスタバーが入ったのは 1999年前後でした。ちょうど私が社会人になりたての頃に日本初のスタバーができたのでよく覚えています。それまでの日本の「喫茶」という珈琲文化そして珈琲世界が変わり始まるのはそこから徐々にだと思います。何故ならばスタバーは初めてヨーロッパのエスプレッソ珈琲文化をファストフードのような仕組みで個人消費者向けに即座に作り卸している形をグローバルのフランチャイズに成功した会社だからです。そこから初めて「喫茶」ではないエスプレッソに基づいた「カフェ」という単語が店舗の形態としてアジアに広がり、文化浸透につないでいったのです。
2010年までは日本やアジアのカフェブームの土台が育んでいた時期でした。珈琲を飲む人口が右上がりの中、赤道に近いインドネシアなどの国以外に新たなアジアの珈琲生産地から「新品種・新珈琲」などの「アジアからの稀少価値あるプレミアム珈琲(豆)」の可能性と必要性を感じている人が多く、企業からもちろんのこと、市場からの期待は高まっていました。また、地球温暖化が深刻化するのと同時に「珈琲栽培の北限」とされている地域の環境も変わりつつあります。
産学官民の動きと大手メーカーの参入
コーヒーメーカーや珈琲の市場関係者たちからの熱い目線が注目される中、アジアではもっとも珈琲の消費量と歴史の長い日本(ベトナムも長い)は自然と国内産地として沖縄が注目されました。もともと小笠原諸島も珈琲の木が植えられているようですが「産業」として現地でも関心が集まり動いてきたのは、沖縄でした。
沖縄はもともと国内の観光名所として知られているが、LCC 格安航空便が始まって以来間もなくアジア近隣国の大人気スポットになりました。県内の経済(収入源)の大半は観光関連の業界・産業、そして農作物や水産物です。観光業のためにも沖縄県を代表する「沖縄産」の新しい何かを打ち出し続けなければいけないので、その一環でも「沖縄産珈琲」というレテルに大いなる価値を感じた人は多くいました。
その渦巻きの中、現地では、産学官民という民間一般人、大学研究所(琉大)、地域行政の複数のプラットホームで珈琲を取り込もう!という動きは「第二波」か「第三波」の珈琲栽培ブームとして現れ活動が始まりました。それによって生産組合や協会も出てきたりして、さらに、ここ数年はネスレ日本のような大手メーカーによる大型珈琲農園の開拓プロジェクトをはじめ、2011年の東北震災以降に現れた田舎や地方への移住活動に 2017年に「沖縄で珈琲栽培」という名目で移住者募集したりすることもありました。
次回:「珈琲栽培|沖縄:民間〜市町村〜県(後半)」へ続く
[ コーヒー好きな方へ:ご参考に ]
沖縄の珈琲栽培(2020年記事まとめ)や 珈琲道具アレコレ(2020年記事まとめ)など、他のコーヒー関連記事やレポートの抄録を別途に note の「珈琲の棚」というマガジンに保管しております。宜しければどうぞ、そちらもお気軽にご参照ください。
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